音のなるものが多すぎる

子供が出来てから、音の鳴るものが多すぎるように感じる。

ねんねの時間など、音が出るのを気にする場面が増えたから、そう感じるのだろう。

だけど、俺を困らせたいが為にわざと鳴っただろ、と言いたくなるようなことがよくある。

ドアも床も、きしんでギイギイ鳴くし、ほんの少し当たっただけで、おたまやら食器はカツーンとかいっちゃう。

静寂のなか、そのような、私にとっては意味が付与された音を聞くと(出すと)、日常のなかで、どれほどの音を聞き流しているのだろう、と思う。

人の耳は受動的で、聞きたくないものも聞かざるをえない、というが、理性という分別管理人が仕事をしているのだ。